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プレスリリース
令和2年9月8日
有限会社重森庭園設計研究
長野市のクラシックホテル(長野ホテル犀北館)における作庭
この度、長野県長野市所在の開業130周年を迎えたクラシックホテル犀北館の庭園を作庭、竣工致しましたのでご案内申し上げます。以下の庭園紹介は設計者重森千靑の意図したものとなります。

◇ 作庭に至る経緯 ◇
様々な文化人が集った犀北館には、それらの訪れた方々の作品などが残っている。その収蔵している作品を通して、現社長である近山氏から、庭園という作品を犀北館に残したいという強い思いがあり、それが原動力となって今回の作品に繋がったのである。長野には祖父の三玲の作品として「北野美術館庭園」「興禅寺看雲庭」がある。また父の完途作の作品も、「佐藤美術館庭園(消失)」「個人庭園」など、長野県内においての作庭があったことも強い要因といえる。このことからもわかるように、重森の庭園における3人目の作品として犀北館に末永く留めたいという思いから実現した次第である。このような歴史あるホテルにおいて作庭ができるということ、またその設計に対しても一切の注文もなく、好きなようにさせて頂けたことによって、3人目の重森の作品として、先々代、先代とは異なる独自の作風を持って表現することができたのではと自負している。
今回の作庭した全面積は167.42坪 (552.55㎡)である。

庭園の見どころ

東庭SEIJI前

本庭のテーマは「雑木の庭」である。これは私自身の作庭家としての歩みの中で、職人としての修行の過程の中で最初に携わった庭作りが「雑木の庭」であったことから、今回犀北館の東庭に取り入れた次第である。なぜこのような造形を取り入れたのかは下記の通りとなる。庭園全体が一筋の川の流れによって東から西に向かって繋がっている。このような手法を取り入れた意味は、庭作りにおいて熟読しなくてはならない「作庭記(前栽秘抄[せんざいひしょう])」という日本最古の庭作りの書物に、川の流れを作るには順流(東から西に向かって流していくことが良い)ということが書かれている。これは京の都「平安京」が作られた時に、中国における風水的な考え方で「四神相応」というのがある。これは東西南北の各方角を守る神がいて、これを守るとその地が未来永劫に渡って反映していくという伝えがあり、この考え方を作庭に生かしていくことによって、その作庭された地が未来永劫に渡って反映することを願ってこのような手法を取り入れた。さらに雑木の庭は私にとっての庭作りの勉強において原点的なものであり、これを庭園の始まりに導入することによって、常に「初心忘るべからず」という自分自身にとっての驕りを戒めること、またSEIJIが洋食レストランであることから、石の存在感を和らげるような手法を取り入れた次第である。
ここで使用されている石は、組んで見せるような手法は一切用いていない。さらに使用した石も、犀北館に昔から残されていた石のみによって構成した。その中にあって、2石赤い石が使われているが、これは佐渡の赤石で、現在でも名石として知られているが、小さな石なので目立たないところが気に入って使用した次第である。また壁際に加工された方形の石を3石使って組んだものがあるが、これは犀北館の木造建築時代の基礎石として使用されていた石である。3石で石を組むということは日本庭園の最も基本的な石の組方であること、基礎、土台という犀北館を支えてきた重要な意味合いなどがあり、これも東庭の作庭意図と合致することから、初代から面々と流れていく力を庭園の中にそっと取込みたかった思いからである。そして自然的な川の流れの風情に落葉樹を主とした構成とすることによって、四季折々の変化を楽しむことができる穏やかな構成中心とした設計とした。なお本庭部分の面積は19.14坪 ( 63.17㎡)である。 

紀元茶寮前

上記のSEIJIからの川の流れは、紀元茶寮北側の窓に面したところへと繋がってくる。ここからは石組を主とした枯山水庭園へと変化してくる。ちょうどその狭間のところに3石、2石と石が組まれている。この石の組方も少々こだわってみた。この紀元茶寮前の庭園に使用した石も、全て犀北館にあった石だけで組み上げたが、流石に歴史ある施設だけに、豊富な長野県産の石が使用されており、それを1石づつ見立てながら組み上げていくのは、まさに作庭家冥利に尽きると言ってよい。SEIJI側の3石で組んだ石は、浅間の墨石(溶岩石)を奥に2石使用し、手前側だけ花崗岩系石を使用することによって、SEIJI側の庭園との狭間とした次第である。これは次の2石も同様の考え方で石を見立てて組んでいる。そしてその西側に2石で組み、ここから次なる枯滝石組へと繋がっていく。
枯滝石組は13石で組み、この石すべてが犀北館の旧庭園で使用されていた石であるが、使い方は全く異なり、石の見立て方には多様性あることがわかる。やはり古い時代 の石は、経年変化などによって表情が豊かであり、小ぶりの枯滝石組であるが、華やかな感じになったと自負している。滝自体は最も基本的な三段落ちとした。滝表現としては古典的でありながら、古典にはない立体構成豊かな表現に徹した。
この滝から落水して流れ出た水が東から流れてきている川と合流し、更に西へと流れは続いていくが、その傍らに3石+7石組の石組をおこなった。ここまでの石組が旧犀北館庭園で使用されていた石のみによって組み、ここからさらに西へと向かっていく石組からは、新規に購入した長野県松代の石を使用することとなる。
ここの紀元茶寮北側部分の建物沿いには、三和土風の洗出し施工を施した犬走りを設けている。このような部分は通常では直線で構成するが、ここは川の流れと共にある通路部分でもあるので曲線を多用し、傍らには洲浜も設けて川の流れの風情を表現してみた。この洲浜の石は新しく導入した石材であるが、これも長野県産の石である。またこの犬走りは西側庭園にまで続く長い距離を持った部分である。洗出し施工をするためには、下地にコンクリートを打たなくてはならない。しかも長野は冬場の気温低下が激しい為に、東京などの通常気温における施工よりも、より入念にしなくてはならない。しかも夏場は比較的気温が上がるために、コンクリートの四季を通じての収縮率が高く、この長い距離の犬走りの合間に伸縮目地を設けなくてはならないのである。通常では伸縮性素材(ゴム系)を合間に挟んで設けていくのが通常施工であるが、それでは面白くないので、斜線的な伸縮目地とし、更にゴム系の黒色素材の合間にカラー目地(赤)を入れることによってアクセントを付けることとした。
この手法は私にとっても初めての試みで、なかなかうまく表現できたのではと思っている。この紀元茶寮前の庭園も、奥行きが狭く、且つ細長い敷地であるが、ちょうど東から西方向に向かって敷地が狭まっていく形状であることから遠近法的な表現方法を使用することができ、かなり奥行き感のある構成となった。このような敷地形状を見立てることも作庭家としては重要なことであることを再認識した次第である。なお本庭部分の面 積は38.03坪 (125.52㎡)である。 

西庭

この度作庭した犀北館庭園の中で、最も広い面積を持つのが西庭部分である。面積は110.25坪 (363.85㎡)である。庭園の北部中程から西部、西南部にかけて築山を盛り上げていき、本庭部分の中で最も築山髙を高くしている。このような築山を作り上げたのは、本庭には各宮家お手植えアカマツが5本あり、このいずれもが一定年数を経た幽玄な松であることから、この雰囲気を最大限盛り立てたかったということが挙げられる。またもう一つ貴重なものとして、上皇・上皇后両陛下お手播きのシラカバとナナカマドを植樹することとなり、それも引き立たせる必要性から、深山幽谷としての風情をもたせるために築山を高くするのと同時に、複雑な稜線構成をもたせたのである。また石組も、東側の紀元茶寮前の枯滝石組から続いてくる連山構成を本庭部分で最大高として、力強く近寄りがたい深山としての景観を持たせるように留意した。本庭のお手植えのアカマツであるが、5本のうち1本は比較的小振りであるが、全体に枝が垂れ下がってくるような特性を持ったアカマツで、石組との協調性をもたせるようにして扱っているのが特徴である。これは、決して植物は石の添え物ではなく、植物が主となって石を従わせる、主従関係が逆転する例も古典的な庭園の中に見られる。これは桂離宮の蘇鉄林がその好例で、これをヒントに本庭のお手植えのアカマツを扱うように留意した。この比較的小振りなアカマツから西部側は全てお手植えの松を列植させてアカマツ林として、アカマツの美しい幹の色や葉の明るい緑などで鑑賞者の目を楽しんでいただけるように構成していった。庭園の中で、各宮家のお手植えの松を、これほど一同に扱えることはなかなかないであろうし、またアカマツに統一されていたことも、 庭園の美しさを際立たせてくれている。また各々のアカマツの仕立て方も個性的であるために、あるものは力強い風情であり、あるものは枝垂れてくるような枝ぶりで優美な雰囲気であったりなど、今後の剪定整枝による管理によって、一層の美しさを見せてくれるであろうことを楽しみにしている。上皇・上皇后両陛下お手播きのシラカバ、ナナカマドも本庭の中で扱えたことは嬉しいことであった。当初のホテル側の話では、1mほどに育った苗木状態だということを聞いていたので、植えてからじっくりと年数を経て成長していく姿を楽しめればと思っていた。しかしながら実物を見せていただいた時に驚いたのが、株立の盆栽仕立てになっていたことであった。これは育てていただいていたところが盆栽作家のところであり、これはこの仕立てを十分に活かしながら本庭に飾り付けるように扱ったほうが効果的であると見立て、浅間の墨石に穴を開けて、それを植木鉢代わりとして設置することとした のである。これは京都東福寺にある霊雲院の江戸初期に作られた庭園で、盆石と盆栽が植えられた鉢を庭園の中心部に据えて、そこから景色が広がっていくことを楽しめる庭園が存在していることからヒントを得て、このような手法を思い立った次第である。また本庭には処所に浅間の黒墨石を景石として使用していることから、なんの違和感もなく溶け込み、これが長い年月を経て立派な盆栽となって庭園の中の一つの景として成立していくことが、何よりも楽しみなことである。
本庭の石組は、本庭中最大高の立石を中心とした枯滝石組を配し、そこから左右に大小様々な石を据えて連山構成として、庭園全体の石組の核をなすように組んでいった。これらの石組は、中心的な石組以外にも手前側や奥側にも配置し、二重、三重構成の連山として意匠していった。設計当初ではこれほどの石組は考えていなかったが、ここでも旧犀北館庭園で使用されていた景石類をふんだんに使用できたことが大きな要因である。中心の枯滝石組に使われた石が今回新規に購入した石で組み、その左右に散発的に新規購入の石を使用し手据えていった。ところが庭園面積の関係から間が空きすぎるために、当初から使える素材は余すところなく使用していこうという思いがあったことと、その考えがあっても該当するような石がなければ、結果的に廃棄しなくてはならないが、旧犀北館で使用されていた石は、どの石であっても惚れ惚れするような良質な石ばかりであり、使われていた使用方法は全く異なる見立てと据え方に、全てが答えてくれたことは何よりであったといえる。これらの旧庭園の石は、次から次へとこちらの要求を満たしてくれる石であったことから、このような厚みのある構成に至ったのである。まさにこれらの石の存在がなければ、今回の作庭は、もっと簡素なものになってしまったであろう。石との会話を楽しみながら、それを即興的に石から問いかけてくる言葉を瞬時に理解してこなしていけたことは、本庭の作庭中の中で、最も楽しい時間であったといえる。
滝石組は三段落ちとしたが、二段は集中的に組んだ石組の中で表現し、最後の一段は二弾落ちの後に少々流れを作って、その途中で落とすように構成した。この最後の落としの石も旧犀北館にあった石で、この石の現在の裏面は平らである。これはもともと飛石の踏分石として使用されていたものであるが、ひっくり返したところ、見事に滝に使える石であったことから、このように用いた次第である。また二段落ちの滝からの流れ、最後の一段を落とした途中までの流れのところに、薄い石を重ねるようにして急流表現をしたが、これは桃山時代の庭園で考案された「鱗敷 (うろこじき)」という手法である。鱗敷に使用した石も長野県産の石であるが、この手法で使用する場合は薄い石でなくてはならないのだが、まさにうってつけの石であったといえる。桃山期に考案されて表現された鱗敷は、角の取れた川石を使用して優美な雰囲気であるが、今回使用した石は割れ肌の石であり、当初表現方法としては厳し過ぎるのではと思ったが、やはり今回の作庭において使用した石の殆どが長野県産の石であることから、滝石組の強さと同調してくれたのは何よりであった。これも作庭中に思いついて施工業者北村氏に投げかけたところ、すぐに適当な石材を提示してくれたからであるといえる。
滝からの流れが本流と合流し、ここは大きな弧を描くようにして川幅も大きく広がり、本庭中の枯流れの中で最も幅広く表現したところである。この流れはやがて西北方向へと舵を取り、その流れの幅も西北方向へ向かって徐々に狭くして遠近法表現を取り入れ、広い面積の庭園であっても、より雄大な景観を呈するように留意した。川幅の最も大きな所には、やはり本庭の中で最大面積の洲浜を用い、またここで用いた石の色味が、三和土風洗出し施工の色と相まって、大きなアクセントとなっている。それらを望みながら奥の枯滝石組を鑑賞するのが、本庭の中での最大の見所であると言ってよい。そしてその奥には各宮家のアカマツ林があり、庭園にとって自然の色合いを考えながら構成していくことの重要性が理解できるのではないだろうか。西南部にはもう一つ小さな枯滝を構成し、本庭の細長い敷地の中で、どのような位置からであっても十分に鑑賞できるように留意したことも付しておく。
このように、本庭の作庭においては、各宮家お手植えの松、上皇・上皇后両陛下お手播きのシラカバ、ナナカマドを積極的に活用すること、旧犀北館ホテルに使用されていた石は、ほぼもれなく再利用すること、そして新規に購入する樹木、植物、石など、庭園に使用するものは全て長野県産のものにこだわることなどを目標として作庭してきたが、十分にこれらの問題に上手に対処することができたのは何よりであったといえる。更に今回の作庭において、京都~長野間の移動の殆どを車でこなしたが、これによって長野にある各アルプスの山並を車窓から眺め、そして犀川の美しい流れなど、豊かな自然の景観をじっくりと見ながら移動できたことが、本庭の作庭において大いに役立ったことを感じている。人は自然の営みの中で生かされていることを強く実感し、その自然に敬意を持って今回の作庭を無事に終了できたことは、自身の人生の中で、また一つ大きな感動を与えていただいたと感謝している次第である。

着工      :令和元年(2019)10月1日
完成      :令和2年(2020)08月28日
庭園設計    :重森千靑
庭園総面積   :167.42坪 (552.55㎡)
東側SEIJI前  :19.14坪 ( 63.17㎡)
東側紀元茶寮前 :38.03坪 (125.52㎡)
西側庭園    :110.25坪 (363.85㎡)

【会社概要】
会社名 :有限会社 重森庭園設計研究室
所在地 : 京都事務所
京都市北区紫野下柳町15-3 
TEL&FAX 075-492-1136
東京事務所
東京都世田谷区桜2-16-307 
TEL&FAX 03-6804-4386
代表者 :重森千靑
URL:https://shigemoriteiensekkei.themedia.jp/
E-mail:chisao_shigemori@yahoo.co.jp


◇ 報道関係者へ公開のお知らせ ◇

( 取材案内 )

1.日時:2020年9月11日(金曜日)16:00~19:00

2.会場:THE SAIHOKUKAN HOTEL 料亭にて




【犀北館ホテルについて】
長野駅から善光寺までの中間あたりに立地するクラシックホテル。江戸時代から続く宿屋から西洋型のホテルとして生まれ変わった明治23(1890)年に書家巌谷一六が犀川(当時は長野駅の近くを流れていた) の北に所在するところから「犀北館」と命名される。
会社名 : 株式会社長野ホテル犀北館
ホテル名: THE SAIHOKUKAN HOTEL
所在地 : 〒380-0838 長野県長野市県町528-1 
代表者 : 代表取締役社長 近山 諭
設立 : 1890年8月28日
事業内容: 宿泊業
資本金 : 2,600万円
【ホテルへのお問合せ】
THE SAIHOKUKAN HOTEL 
TEL:026-235-3333(代表) FAX :026-235-3365 
担当:宮坂、古川